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小論文教育 No8 人間の判断は正しいの?小論文テーマ「インフォームドコンセント」(解答編)

小論文教育 No8:人間の判断は正しいの?小論文テーマ「インフォームドコンセント」(解答編)

バイアス

 地球上の男性の人口が女性よりも多ければ、AIはそのバイアスを学んでしまう。「people」という単語を「男性」を意味するものとして捉えてしまう。そんな機械学習の危うさを紹介しています(日本経済新聞朝刊、2022年9月11日)。

 AIが各方面で利用されていますが、そうしたバイアスをいかに修正するかが課題になってきますね。

 さて、前回の問題は次のようなものでした。

 

医師は末期がん患者に対して告知をするべきかについて、六百字以内であなたの考えを述べなさい。ただし、患者は十分な判断能力を備えた十五歳以上の者であるとする。

 

 患者への病状の告知をインフォームドコンセントと言いますよね。次のような解答を考えました。

 

 末期がん患者への告知については、医師に告知義務を課すべきだとする考えと医師の裁量を認めるべきだという考えがある。
 医師に告知義務を課すべきだとする考えは、インフォームドコンセントの徹底と患者の自己決定権の尊重を重視する。つまり末期がんであるということが判明した時に医師が患者に病状を正確に伝え、その後の方針を患者自身に決定させることは医師の義務であるとともに患者の権利であると考える。
 末期がんの告知をすれば、患者が現実を受け入れ残された人生を有意義に過ごすか、自暴自棄に過ごすかはその患者しだいであろう。患者が現実を受け入れられず人生に絶望し、自暴自棄になり、時には自傷他害に及んだりする危険性を心配し、告知をためらう医師もいるだろう。

 しかし医師は患者に告知すべきと考える。複雑な症状、治癒しがたい病状であれば、主治医の判断とそれ以外の医師の判断の相違をもたらす。その時に病状の診断を判断し治療を受けるかどうかを決定するのは患者であり主治医ではない。

 もちろん医師が告知するには、患者の理解力・判断力を考慮した上であるが、理解や判断が困難な場合には患者をよく知る家族でもかまわない。医師は告知のガイドラインに従って患者に病状を告知することを徹底すべきと考える。

 

 告知をすべき(インフォームドコンセント)かについて、賛成・反対のいずれの立場でもよいという解答を示しているものが多いと思います。皆さんは、どのように考えますか?たとえば、次のような解答は?

 

やはり私は告知の可否、時期、内容について医師の幅広い裁量を認めるべきだと考える。 もっとも医師も人である以上は判断ミスを犯す可能性もあり、全くの自由な裁量であってはいけない。そこで、告知について適切な判断がなされるためには、複数の医師が患者の年齡、余命期間、家庭環境、家族の意向、告知が治療に与える影響などの様々な事情を総合的に考慮する必要があると考える。(注「改訂版 世界一わかりやすい医学部小論文・面接の特別講座」参照)

複数の医師の判断がなされても、最終的には総合判断をするのは主治医であろう。患者が主治医の判断にすべてを任せられるのであれば、主治医に告知の判断の裁量をまかせてもいいのでしょうか。どうですか?

 

 主治医の判断と違う判断を下す医者もいます。それだけ、判断の難しい症状であれば、判断のノイズは広がりますよね。

 インフォームドコンセントは、規則であるか規範であるかという問題もあります。(規則であるか、規範であるかは別の機会に取り上げたいと思います)。

たとえば、症状について、検査の結果が数値化できるもの、あるいは相対的な評価ができるものについては、そのことを伝えるというガイドラインを作ることができます。

医者の判断よりも、ガイドラインに従って症状を告知することが、医者の判断、病院(各医者)の判断のノイズを避けられるのではないでしょうか?

 

それとも、赤ひげ(山本周五郎の小説の主人公)のような名医の判断を求めます?

 

 

(注)