nakatalab小論文教育ブログ

考えて書く力を習得する、小論文教育

小論文テーマ No24 多数決に於ける同調圧力、わかりますか  (2022年慶応義塾大学経済学部 小論文問題より)

小論文テーマ No24 多数決に於ける同調圧力、わかりますか  (2022年慶応義塾大学経済学部 小論文問題より)

 いよいよ、入試も本格的に始まってきましたね。今回は2022年の慶応大学経済学部小論文問題を取り上げます。

 次の2つの課題文Ⅰ、Ⅱを読んで、設問 A、 Bに答えなさい。解答は解答用紙の所定の欄に横書きで記入しなさい。

[課題文]

Ⅰ. 多数決は誰の意思か
(日本経済新聞2021年7月11日朝刊より抜粋)

世界を動かす力の一つにオピニオンがある。人々が織りなす考えや主張は社会のムードをつくり、時代を塗り替えてきた。そのオピニオン誕生の力学がスマートフォンSNS (交流サイト) の普及で変わってきたのではないか。好奇心旺盛な科学者らが新たな原理の探索に乗り出した。
【多数決】賛成者の多い意見を集団として受け入れて物事を決めるしくみ-、私たちは多数決が公平さを担保し、民主主義の根幹をなすと信じている。だからこそ、人々は選挙などの結果を受け入れる。だが、多数決は金科玉条なのか。
 「2~3割の人の意見が、全体に優先してしまう」、高知工科大学の全卓樹教授は自らの研究をもとに、多数決とは言いがたい例がある現実をこう明かす。
 全教授は、多くの人が周りと意見を交わすうちに世論のような社会のムードができあがるしくみを解明する「世論力学 (オピニオンダイナミクス)」理論の第一人者だ。 2020年にフランス国立科学研究センターのセルジュ・ガラム博士と共同で発表した論文は民主主義を強く信じてきた人々に少なからず動揺をもたらした。
 論文では、集団の意思が決まるまでの過程をシミュレーション (模擬計算) した。自分の意見を譲らない「確信者」と、他人の意見に影響を受ける「浮動票者」を想定し、集団全体の意見の変遷を数値の変化でわかるようにした。途中、確信者の意見に対して、浮動票者の考えが揺れ動く。突如、変化が起きた。確信者の数を25~30%超まで増やしたとたん、浮動票者全員が確信者の意見に転じたのだ。
 3割程度の意見が全体の世論を左右する様子は、集団の意思決定時にふさわしいとされた多数決の力学とは異なる。「多数決」どころか「3割決」の傾向は、SNSを介して議論するような場合に観察できるという。「集団の意思決定に別のしくみが現れた」 と全教授はいう。
 多数決への信仰が生まれたのは、紀元前5世紀ごろの古代ギリシャだ。市民が戦争や財政について語り合い、今でいう多数決で方針を決めた。社会が発展すると王政や貴族政治が続き、ファシズムなどを乗り越えて、法律や財政、外交などの重要課題を多数決で決めるのが慣例になった。

議論に加わる人数が限られた昔は、一部の意見が多数を支配する傾向が強かった。以前にガラム博士が発表した論文では,わずか17%の意見が世論を左右するとの計算結果が出た。
 今はSNSがある。全教授は「マスコミを通じて数人のオピニオンリーダーが世論を率いた2000年頃よりも前と現在は違う」と話す。そうだとしたら、デジタル社会のさらなる進展で「一人ひとりの多様な意見を全体に反映するのはたやすい」「民意を直接、確実に届ける国民投票がかなうかもしれない」と思えてくる。
 だが、SNSは民主主義を支える多数決の理想型に近づく可能性を感じさせる一方で、地域や生活様式を超えたつながりやすさゆえに「一部」 の意見を「多数」 と惑わす遠因にもなる。理想と現実との間の溝を高知工科大学の研究成果は浮き彫りにする。
 鳥取大学の石井晃教授らの理論研究では、一人ひとりの真意を吸い上げる難しさが明らかになった。
 研究では、世界に1千人が住み、100人は 「ほかの誰もが見聞きできる情報」をじかに入手できないと仮定した。
 この情報を550人以上が信じてSNSや会話で周りに言いふらしたとして計算すると、情報から隔絶されている100人の8~9割までもが次第に同じ情報に染まっていった。集団の55%が信じる情報が同調を招き、一人ひとりの生の声を覆い隠すという結果になった。

(中略)

一人ひとりが情報の海の中で生きる現代は、意思決定が誰にとっても難しい時代でもある。そんな今を生きているという自覚が求められている。 (草塩拓郎)

Ⅱ 変容する科学とその行方
(隠岐さや香 『文系と理系はなぜ分かれたのか』 星海社、2018年より抜粋)
 学術が、科学がどうなるのか。未来のことは誰にもわかりません。ただ、現代は、めざましい情報技術の進展も手伝って、この先どうなるのだろうかという、期待と不安に包まれた時代だと思います。

 歴史を振り返る限り、「文系理系」を含め、学問の分類を大きく変えてきたのは、人間が扱える情報の増大と、学問に参入できる人の増加です。たとえば、活版印刷が生まれて本が普及したことは、近代的な諸学問が発展したことと無関係ではないでしょう。その意味で,近年の情報技術の発展が私たちに何をもたらすのか、未知数の側面はあります。
 ただ、文理の区分を含め、私自身はすぐに大きな変化があるとは思っていません。情報技術は、あらゆる分野で処理可能なデータの量を飛躍的に増やしましたが、現状では、研究の手段を豊かにしたという段階に留まっている気がします。
 むしろ、明白な変化が起きているのは、人と人のマッチングや交流のあり方です。(中略) 尖った専門性のある人とその間をつなぐ人とで補い合い、集合知を発揮する、という方向の取り組みが今後増えていきそうです。

学問への参入者の増大という点については、情報技術の問題とは独立に、前から新しい動きがあります。研究をしたことがない一般の人が、参加し、貢献することができるような研究活動が、様々な分野で出現しているのです。社会科学や一部の環境科学的プロジェクトにおいては、「参加 型研究」 「アクションリサーチ」などといわれます。理工医系では「シチズン・サイエンス」という 言葉がよく使われています。
 背景には、集合知としての研究を追求する視点、すなわち、学問の諸分野に加えて、一般市民も含めた、多様な立場の人が持つ知見をうまく集めて問題解決につなげよう、との発想があります。

典型的な参加型研究の取り組みは、ある地域の課題解決を目指すタイプのものです。それも、研究者が一方的に専門家として住民を受け身の「調査対象」とするのではなく、コミュニティの人々と共に改善の可能な問題について話し合い、可能な作業を分担するといった形を取ります。(中略)
 このように様々な分野で、壮大な挑戦のため、世界中の市民と研究者が協働しています。
 ただ、素晴らしい試みの陰には、常に課題も生じることを忘れてはならないでじょう。参加する人々が多様化し、規模が大きくなる場合について、私たちはようやく知見を積み重ね始めたばかりです。特に、情報技術や、先進国の豊富な資金源でもってその可能性が極限まで引き上げられている場合や、市場を通じた価値づけがなされる可能性のある研究の場合は、それが参加者一人一人にとって何を意味するのか、常に考え続ける必要があると思います。
 まだこれからの試みですから断言はできませんが、社会科学系の「アクションリサーチ」 と自然科学系の「シチズン・サイエンス」に関する文献からは、いくつかの課題も浮かび上がってきます。それは主に、人間に関するものと、データの扱いによるものに大別できるようです。「アクション・リサーチ」では、地域の生活に関わるテーマも多い関係上、「個々の参加者と人間として向き合う」ことが必要となります。特に、地域住民が「生活を乱された」 「研究の道具にされた」という気持ちにならないようなアプローチは重要な関心事です。
 「シチズン・サイエンス」では「集まってきたデータと向き合う」ことが基本となりやすく、データ処理に関する課題が検討されているようです。たとえば、「質の違いが大きいデータをどのように気をつけて分析するべきか」「参加者によりデータ収集への貢献度が大きく違うことが多いが、報酬をどのように設定するべきか」などの議論がみられました。ただ、課題の性質上、「市民に科学への親しみを持ってもらえる」「科学に関心のある市民に、研究者と一般社会の橋渡しをしてもらえる」という明るい論調が前面に出ていました。
 問題が起きないのなら、それに越したことはありません。ただ、こんな話をするのは、世界中の人々が研究のため、データ収集に関わるような状況が仮に生じると仮定した場合、 ある過去の議論を思い出すからです。
 一九六〇年代のことです。デレク・プライスは、二〇世紀における自然科学研究者の人口と研究論文数の指数関数的増加に着目しました。そして、職人の工房のような「リトル・サイエンス」から、大型装置を備えた工場のような研究室でチーム作業の行われる 「ビッグサイエンス」に移行したと認識しました。プライスが鋭いのは、そこに科学の普及と民主化よりは、徹底した分業と、階層化の進展を見出したことです。実際のところ、出現したのは、各分野で、少数の科学者が非公式のエリートグループを作り、情報の流通を密に行いながら、階層秩序の頂点に立って全体のトレ ンドに影響を与えていくという構造でした。そして、多くの研究者にとっては、巨大装置を用いて毎日大量のデータをモニタリングし、そこからひたすら情報処理を繰り返すのが仕事になっていきました。
 科学の対象が複雑化し、膨大な情報処理が必要となる時代においては、学際的な研究の営みへとこれまで以上に多くの人が引き込まれていくのでしょう。そして、人文社会でも、理工医でも、研 の内容が、膨大な作業の分業のような性質のものであるとき、個人は巨大な構造の一部となります。爆発的に増え続ける情報と、それを扱える技術の出現。巨大化する協働のコミュニティを前に、一人の人間が持つ知性が一体どんな意味を持ちうるのか。そうしたことも考えなければいけない時代となっている気がします。
常用漢字表の例にない漢字については、原文にある以外に一部ふりがなをつけた。

[設問]
A. 課題文に基づき、個人の多様な意見を反映する集団的意思決定ルールとして、多数決の問題点を200字以内で説明しなさい。

B.課題文を踏まえた上で、課題文Ⅱにおける「学問への参入者の増大」により生じうる問題 と、それに対して「一人の人間が持つ知性が一体どんな意味を持ちうるのか」について、あなたの考えを400字以内にまとめなさい。

 前回に取り上げた2021年度の問題と異なる点は、二種類の文章を取り上げていることです。当然ながら、課題文ⅠとⅡには、ずれがありますが、共通点は何かと、考えます。大枠が捉えられればいいという読みになります。

 

 課題文ⅠのA問題では、「多数決の問題点」が問われています。「3割の確信者」の意見が全体の意見になってしまうこととSNSでも同様のことが起こることを説明すればいいでしょう。

 B問題の課題文Ⅱでは、専門知を握る一部の研究者と、それ以外の情報処理をする研究者及び市民との関係が述べられています。

 さて、課題文ⅠとⅡの共通点は何か。みなさん、わかりますか。

 

 答えは非対称的な関係です。

 

 「3割の確信者」及び「専門知を握る一部の研究者」が独占的な地位を占めていて、それ以外の人たちが対峙しているという関係です。

 

 非対称的な関係という言葉、読者のみなさま、覚えていませんか?

 

 2021年度の入試問題「基軸通貨」のB問題です。小論文の過去問を解く際には、何か似たような傾向をつかむことが、他の科目と同様に大切です。

 今年は、どうなのか?

 慶応大学経済学部の小論文問題の課題文を読んで類似する具体例を挙げて、説明する問題は傾向としてあります。おそらく共通テストを受けて、課題文が二つ出題されていると思われますが、課題文が一つでも二つでも、類似するものを考えることが問題を解く鍵になりますね。

 

 A問題の解答をDSCHさんから、いただきました。内容としては、多数決の問題点を十分に指摘していると思います。

 

A多数決では、自分の意見を譲らない確信者がある程度の割合を占めていると、他人の意見に影響を受ける浮動票者はそれに同調してしまうので、総意を的確に反映できず、一部の意見が全体を左右してしまうという問題点がある。また近年ではSNSの普及により、そこから入手した情報を他人に話すと、その意見にさらに多くの人が同調してしまうので、多数決では一人ひとりの真意を全体に反映することは難しいという問題点もある。(177字)

 

 傍線部は3割程度と課題文に書かれています。この実数は書いた方がいいです。200字までまだ字数が書けるので、「SNSの情報から隔離された者もSNSの情報の同調圧力を受けてしまう」ということを書くといいかな、と思います。

 次回はB問題を取り上げます。